一月二十八日 「新しいミュート・ピアノへ」
一月二十八日。
ひとつの転機を迎えていた。
「スティルライフ」の根幹に関わることで、長い考察の時間を必要とした。
結論から言うと、これまで録音したスティルライフ、およそ半分の録音をやり直すことになる。
「スティルライフ」は「ミュート・ピアノ」で録音している。それは普通のピアノと、どう違うのか。
アップライトピアノには一般的にペダルが三つ付いている。
ひとつは音を伸ばす為のダンパー・ペダル、
ひとつは音を弱音にする為のソフト・ペダル、
最後は消音にするマフラー・ペダルである。
文書を引用すると、
"マフラーペダルは「消音ペダル」とも呼ばれ、踏むと弦を叩くハンマーの前に消音用のフェルトが降りて音量を小さくする事ができる。ただし、演奏上のアーティキュレーションとして利用されるものではなく、練習の際に音量を下げる目的で使用されるものである。"
と書かれていた。
イメージとしては子供たちが家で練習する時に使う、音がほとんど鳴らなくなるピアノ。
この状態のピアノのことを「ミュート・ピアノ」と呼んでいる。
なぜミュート・ピアノで録音するのか。
ミュートピアノは実に可愛らしい音が鳴るのだ。
それは生活の音。温度のある音。
光の午後に、部屋で鳴るピアノの音色。
風でカーテンが揺れている。花瓶の水が反射して部屋に光が溢れている。弦とハンマーの間に白いフェルトが降りて、夢の中のピアノの音が鳴るのだ。
しかし、同時に、様々な他の音も鳴る。
そもそも音が小さいので、録音すると余計にその他の音が目立ってしまう。
カサカサという布に触れる音、鍵盤のカタカタする音、ダンパーペダルの音、などなど、、
それらを「素敵な環境音」として捉えられるか、ただの雑音と取るか、人の好みにもよるだろう。ミックスでかなり変わるので、ここはエンジニアの玄と追求しないといけない。
ミュート・ピアノは僕の音楽にはぴったりの音であり、生活の音がする。スティルライフは「生活の音楽」で在りたい。
最初のピアノソロアルバムはどうしてもミュート・ピアノでスタートしたかった。
ピアノソロの道のりは長い。
徐々に、マフラーを取り、アルバムを重ねて、いつか最後にグランドピアノまで行ければ良い。
スティルライフの過半数の曲を録音し終えたところで、前々からある二曲で試そうと思っていたアイディアに挑戦した。
それは
「オリジナル・ミュート・ピアノ」での録音。
ミュート・ピアノの布を普通ピアノに付属されているものではなく、オリジナルのものに変えてしまおうというのだ。
実は以前から様々な布をライブで試していて、「麻の布」が面白いことを発見していた。
麻の布にすると、普通のピアノとミュートピアノの中間の音が鳴り、どちらの良さも活かせる。これは素晴らしい。
ただし、ミュートピアノ以上にコントール不能であり、音が鳴ったり鳴らなかったかり、突発的に変な金属音がしたり、とても普通は録音には使わないだろう。
そもそもミュートピアノの「布」を自作のものに張り替える、ということを聞いたことがない。
麻の布に張り替え、テープなどで養生し、所々をハサミでカットして布を整える。微妙な位置の変化で音色は大きく変わってしまう。
まず、予定していた「8番目のポートレイト」「たしかな声」を録音してみた。予想以上に難しく、テイクをいくつも重ねて苦労したが、録音を聴くと理想の音が鳴っていた。
確かな音だ。ミュートの温もりも、ピアノ本来の響きの美しさも生きている。
ここで一つ、愕然とする事実に気がついた。
これまで録音した曲たちも、
この「麻のオリジナル・ミュート・ピアノ」で
やり直さなくてはいけないかもしれない。
全てとは言わないが、半分くらいは、、
きっとこの麻に似合う曲が他にもある。
そして、麻と普通のミュートの曲たちが折り重なることにより、アルバムの中で双方がお互いの良さを引き立たせてくれることになるだろう。
それがスティルライフの完成形となるだろう。
頑張ってきたテイク達、彼らにかけた多くの時間を捨てる決断は眩暈がするが、より良いアルバムになるなら、一つも惜しむことはない。
全ては必要な過程なのだから。